三菱自動車 ロゴ

日産に買収され事実上日産の子会社となった三菱自動車。

三菱グループは三菱自動車をどうするつもりなのか?

三菱グループについて知るため、「週刊ダイヤモンド 2016年1/30号 三菱最強伝説」を読んでみました。

本書の内容

最強財閥の理由

三菱財閥が最強の理由として

  1. 三菱グループの時価総額が30兆円で日本首位
  2. 三菱グループの売上高が5,200奥億ドルで世界首位
  3. 国内総売上の2割280兆円が三菱グループの売上(三菱経済圏)
  4. 三菱グループが業界トップ3を席巻(商社、重工、銀行、石油、科学、保険、電機、不動産、酒類など)
  5. 海外子会社757社(三井:713社、住友:539社)

などが挙げられていました。

だいたい認知されている情報ではありますが、改めて図表にまとめられると圧巻です。

最高決定機関 金曜会

知られざる三菱グループの階層構造ということで、三菱御三家を筆頭にヒエラルキーが存在するそうです。

  • 三菱御三家
  • 主要10社
  • 外様の金曜会メンバー
  • 三菱広報委員会メンバー

デスノートのヨツバグループのモデルになったと言われる懇親会ですね。

岩崎4代の伝説

創業家の岩崎一家4代の伝説について紹介されていました。

初代総帥 岩崎弥太郎: 台湾出兵や西南戦争の開運の輸送業務を独占し莫大な利益を上げる。しかし、後ろ盾の大隈重信が政権から追放されると、三菱潰しのため共同運輸会社が設立され賃下げ競争が激化する。三菱は倒産の危機を迎える中、弥太郎は死去する。

2代目総帥 岩崎弥之助: 先のもの台を回避するため開運事業を譲渡、合併した日本郵船に三菱社員を送り込み経営権を手にする。また、初代の失敗を繰り返さないために、様々な政治家と関係を持ちリスクヘッジを図った。さらに、長崎造船所を買収や丸の内の官有地を買い取るなど、事業の多角化の道を切り開いた。

3代目総帥 岩崎久弥: 叔父が敷いた路線を引き継ぎ、神戸や下関に造船所を新設し重工業路線を加速させる。その後、日清戦争や第一次世界大戦で船舶需要が高まり、造船業が三菱のドル箱となる。

4代目総帥 岩崎小弥太: 事業の分社化を図り、三菱造船(現三菱重工業)、三菱商事、三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)と、今日に至る三菱主要企業を次々に株式会社化する。また、現在にも続く三菱の経営理念を示した、「所期奉公」「処事光明」「立業貿易」からなる三綱領を確立する。

三菱ブランド

三菱ブランドの世界的な知名度は高く、海外の企業は大きなプロジェクトほど三菱と組んでビジネスをする傾向があるとのこと。

三菱はこのスリーダイヤブランドを最大限に活用して様々な案件を獲得しているようで、そのため三菱という名前やブランドに凄くこだわりがあるようです。

結論

三菱グループは、なぜ足手まといに見える三菱自動車を何度も助けるのか。

売上高2兆円を稼ぐからという理由だけでなく、三菱ブランドを守るために三菱自動車を潰させるわけにはいかないという理由があるようです。

今までは、2兆円という売り上げや三菱グループ内の相乗効果を期待して助けているのかなと思っていましたが、三菱ブランドというのは自分が考える以上にビジネスにおいて重要な役割を果たしていることがわかりました。

三菱自動車

始めの疑問に戻ります。

こんなニュースを見つけました。

 三菱自の株式を日産が34%、三菱グループ3社が17%以上を持ち、4社で合計51%以上を原則10年間保有することを決めた。

 現在、三菱グループ3社は間接所有も含め三菱自に34%出資している。三菱自は日産との提携にあたり新株を発行する予定で、グループ3社の出資比率は低下するが、17%以上は堅持する。日産と三菱グループ3社は、三菱自株を売却する際は互いに先に株式を購入する権利を与える。

日産が株式の30%以上を取得して三菱自動車を子会社にしつつも、三菱グループで17%の株式を所有していたり、株の売却の際は三菱に購入権を与えるという取り決めをしているのを見ると、三菱はスリーダイヤブランドを凄く大切にしていることがわかります。

こうしてみると、何十年後か日産・ルノーが三菱自動車を手放す際に三菱グループが株式を買い取り、三菱自動車が三菱グループに戻る日が来るかもしれませんね。

ちなみに、私は三菱自動車のSUV、アウトランダーPHEVが凄く凄く欲しいです。

参考書籍

【週刊ダイヤモンド 三菱最強伝説】どうなる三菱自動車!?
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